SPA!2014年9月2日号
エッジな人々 富野由悠季(アニメ監督)
72歳にして“脱ガンダム”に成功した! 要約版
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□東日本大震災と福島第一原発事故
――「G-レコ」の構想段階で東日本大震災と福島第一原発の事故が起こりましたね。この2つの事件は作品に影響ありましたか?
富野:影響はあります。福島の事故で大人たちに期待できないことが、はっきりしました。事故を起こしても後処理ひとつできない。そんなことは最初からわかっていたはずなのに。この間も地元住民が大反対しているのにもかかわらず、どこかの知事が「(中間貯蔵施設の件は)何とか説得したい」とか平気で言っていました。僕に言わせれば「バカなんじゃないの?」って話です。
――「∀ガンダム」の頃から「持続可能型のエネルギー政策をに切り替えないとまずい」といった話を繰り返してきましたね。そのあたりのことは福島第一原発の事故後、話しやすくなったのではないでしょうか?
富野:それも1年程度のことでしたね。今では原発に関する言葉は死語に逆戻りしています。コンビニは24時間営業だし、東京では街中の街灯が灯っている。街灯をつけないと犯罪率が上がるなんて言うバカもいるけど、江戸時代の犯罪率が今よりも高いとは思えない。それでも20世紀の暮らしに慣れてしまった我々大人は街灯を消すことができないでいる。僕にしても今では自粛という観念を持てずにいます。それくらい僕たちはだらしがないんです。
――だからこそ、子供に向けて「G-レコ」を作った?
富野:この作品を観た子供たちが10年後にアクションを起こす。そのための種はまけたと思います。台詞にはしていないけど、問題意識はすべて並べています。例えば、本作に搭乗する宇宙エレベーターもそのひとつです。地球と宇宙を7万kmのケーブルで繋ぐことに、どの程度の現実感があるのか? さらに言えば、宇宙エレベーターの維持管理をどう行って、投資した資金をどう回収するのか? そういう科学者が置き去りにしている問題に目を向けられる人間が「G-レコ」の視聴者から育ってくれたら本望です。
□「G-レコ」と「風立ちぬ」
――制作期間中に同世代の宮崎駿監督が「風立ちぬ」を公開しました。富野監督は「風立ちぬ」を絶賛していましたが、この作品から受けた刺激はありますか?
富野:影響は受けていません。ただ、今回も「同じ年の先輩に一手先んじられた」という感覚はあります。というのも、宮崎さんが描いた技術と社会の関係性というテーマは、僕が「G-レコ」で描こうとしているテーマと重複している部分があって、その点では徹底的に負けています。
――負けですか?
富野:完全に負けです。あの映画で宮崎監督はスピルバーグもなし得なかった仕事をしています。その点を劇場公開から1年が経過した今現在も誰一人評価していない。そこに僕は腹立たしさを感じています。これは現代の教育の甘さだと思いますよ。その部分は「G-レコ」を通して補完していきたいと思っています。
□大衆性が欠けているという弱点を克服した「G-レコ」
――(「G-レコ」の“G”は元気の“G”だという話に続いて)元気という言葉は今までのガンダムシリーズにはなかったですね?
富野:そこがガンダムの欠点だと思います。元気とか熱血という言葉を貼り付けることのできないシリーズだから、ある一定のファン層にしか届かない。芸能的に享受されることのないシリーズだと思うんです。それはアニメとして考えたときにいいことではありません。
――芸能的には享受されない、つまり大衆性が欠けているという弱点を克服した作品が「G-レコ」だと?
富野:手応えはあります。「G-レコ」では、AKB48やももクロレベルの大衆性をも射程に捉えたアニメを提示できると思います。
――富野監督からAKB48やももクロの名前が出てくるとは意外です。
富野:職業人として「子供に観てもらうにはどうしたらいいか?」ということを考えたら、そのような面白さは意識せざるを得ない。僕が目指しているのは究極のエンターテインメントとしてのアニメなんだから。それくらい広い媒体としてアニメを捉えています。それなのに最近の作り手はアニメの可能性を、ものすごく狭いものとして捉えている。最近のアニメ業界を見ていると「アニメが好きなだけで、アニメを作れると思うなよ!」という気持ちになります。
□アニメは圧倒的にパンクな存在
――富野監督がガンダムを作り始めた頃は、アニメってもとパンクなものだった印象があります。
富野:そうなんです! あの頃は圧倒的にパンクな存在だったんです。今の若い人たちが考えているアニメというフレームにとらわれていない作り手たちが、方法論から模索して作品を作り上げていた。(中略)それが今ではアニメ制作を学校で教わることができる。そういう現場を何度か見るチャンスがあったんだけど「これじゃダメだぞ!」ということしか見えてこない。
――富野監督から見て若い作り手が抱えている一番の問題はどこにあると思いますか?
富野:自分一人で表現できると考えているところですね。それは大きな間違いです。「G-レコ」で脱ガンダムを果たせたというのも、この作品のスタジオワークを通してスタッフから刺激を受けたおかげです。自分一人で構想を練り上げていた段階では、絶対に実現できなかった。(中略)人と人との繋がりは伊達じゃないんです。
――一人の人間の表現には限界があるということですね?
富野:一人の人間の才能だけで20年も30年も作り続けることなんてできない。まして人を熱狂させるアニメなんて作れるわけがない。僕はパンクって100万人を熱狂させるエクスタシーだと思うんです。これは芸能の本質にも通じる話です。僕自身は芸能のルーツは宗教的な生贄の儀式だと考えています。村で一番の奇麗なお姉さんを神に捧げる。そこに生まれる宗教的な熱狂が芸能の原点なのではないかなと。そういう熱狂が今のアニメにありますか? 僕なんかは「それはテメーの好きなセクシュアリティでしかなくって、オレの好きなのは違うんだ!」と感じるものが多すぎます
□もう年寄りがやってみせるほかない
――アニメ監督としてのキャリアが50年を超え、年齢も70歳の大台を超えた。ぶっちゃけた話、人生の残り時間は決して長くはないと思います。この時間を何に使おうと考えていますか?
富野:芸能人としてアニメを作りたい。その先で芸能としてのアニメの道筋をつけたい。先程もお話した通り、アニメという媒体は便利なものだし、まだまだ可能性のあるものです。こういう話をするようになってから、「それでは富野監督が好きなアニメって何ですか?」と質問される機会が増えたのですが、最近はビートルズの「イエロー・サブマリン」と答えています。今では皆さん、忘れている作品かもしれませんが、あの作品を観ていると「アニメとは、ここまで強力なものなのか」ということを実感できる。そして、「イエロー・サブマリン」のような作品は異能の人間ではなくては作れない。
――ということは、富野監督のなかでは芸能性を持ったアニメは、異能の人間によってしか生み出されないということですね?
富野:ビートルズくらいのレベルでないと、あれだけの力を持った作品は作れないでしょうね。そして、今のアニメしか観ていない人間の中からビートルズが生まれるとは思えない。そういう状況ではジジイがやってみせるしかないじゃないですか。ただ、実際に作り始めてみると、自分でもびっくりするくらい地獄でね。言いたかないけど、パンクなんてジジイのやるものではない(笑)。
――年寄りにやらせるなと(笑)。
富野:そう、やらせるな(笑)。
※カラー3ページに及ぶロングインタビューですが、他誌で既出の話は割愛して、約1/3程度に要約しました。これまでのインタビューとはかなり切り口の異なる、とても面白いインタビューですので、ぜひSPA!2014年9月2日号をお求めのうえ、全文をお読みください。たったの390円(税込)ですから、お買い得です!