大人が「G-レコ」を見る必要はない! 「ガンダム Gのレコンギスタ」富野由悠季に直撃取材&サインプレゼント!
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以前は、もっとアニメを気軽に作れていた。
――タイトルは、『G(ジー)のレコンギスタ』なのか『G(ガンダム)のレコンギスタ』、どちらでしょう?
タイトルの解釈は、見た人それぞれに任せます。
――「Gravity(重力)」の「G」かも知れませんね。
「Ground (大地)」の「G」かも知れないでしょ?
――「元気のGだ!!」という力強いキャッチコピーを、監督みずから書かれてましたね。
ええ、自分の中では「元気のG」が一番しっくりきます。でも、最初からあっけらかんと元気な作品を作り始めたのではなく、絵コンテが5~6本上がってきた頃、「元気のG」でもあるな……と気がついたんです。もうひとつ、観念的にイメージしていた「ガンダム離れ」というコンセプトが、映像から見えてきました。つまり、「え、モビルスーツが出てきてるのに、どうしてガンダムじゃないの?」という絵になったので、「やったぜ!」という気分になったんで、元気のGなわけです。
――絵コンテの話が出ましたが、富野監督のコンテは丸チョンで書いてあったからこそ、アニメーターの力量が試されたわけですよね。今回のコンテは色鉛筆まで使って綿密に描きこんでありますが?
はい、本当は、あんなにも描きこんではいけないんです。だけど、これだけ現場を離れていると、あのプロセス(絵コンテの描きこみ)を踏まないと復帰できないという感覚がありました。
もうひとつ、絵コンテ作業が自分の体力チェックになるという意味もありました。若い頃は週1本で放送するのが当たり前だったけど、今の自分にはしんどいかもしれない……そういう意味で、絵コンテ作業で体力チェックをしておいてよかったし、必要なプロセスでした。
「作り手の体調」が作品に反映されてしまったとしたら、それは問題ですから。「Gは、元気のGだ!」と言い切れるようになったとき、作品として一本立ちできる勢いは得られたかな、と思いました。「元気のGだ!」のキャッチコピーは瞬間芸的に考えましたが、「これはハマるぞ」と思えたし、そういう作品を作れるだろうと予見することもできました。
絵コンテに話を戻すと、丸チョンに戻すべきなんです。そうでないと、週1本という制作ペースに耐えられませんから。こんなに時間をとられる作業は、コンテ描きではなく、いわば設定作りです。
――建物の形から、花火の色まで克明にコンテに描いてあるんですよね。
そこまで描かないと、コンテを切れなくなっていたんです。以前は、もっと曖昧にコンテを切っていたはずです。だけど、曖昧なコンテでは許されない制作スタジオ側の状況があります。『機動戦士ガンダムUC』を作っていたスタジオ(サンライズ第1スタジオ)ですから、「フレームの四隅まで全部設定がないと、描けません」という要求がスタッフから出てくるわけです。
――絵コンテにすべて描きこまないと、今のスタッフは絵を描いてくれないという意味ですか?
それだけではなく、「設定までコンテに描き込まないと、世界観が劇として定着しない……」という妙なことが起きてしまっているのです。アニメって、もっと気楽に作れていたんだけど、今はそういう部分がなくなってしまい、正直言うと苛酷に感じています。
――『ブレンパワード』のとき、「現場復帰のためのリハビリ」とおっしゃっていましたよね? 16年前の『ブレンパワード』に比べると……
もう、(苛酷さの)レベルが、3~4段階も違います。その分、こちらが気を入れすぎてしまっているのか、年寄りの悪い部分が出てるのか、という自己反省もあります。だけど、シナリオが26話分できているから、今から方針を変えられないんです。ここまで来たらやるしかないんだけど、どこまで息が続くか……という心配も、正直言ってあります。
XPのサポート終了問題と「これ以上、技術を進化させない」世界。
――作品の中身についてうかがいますが、宇宙エレベーターが新しい物ではなく「過去の技術を再利用している」点がポイントかと思います。
「宇宙世紀以後の千年、科学技術を進歩させていない」という絶対条件をつけました。「技術屋の都合で、物事が都合よく進むと思うなよ」とずっと以前から考えていて、その問題がWindows XPのサポート終了ではっきり露見しましたね。たかが一企業の都合で公文書まで見られなくなったとしたら、一体どこに落とし前つけるつもりなのか、ということです。経済論でいうと、みんな判で押したように「イノベーション、イノベーション」と言い続けているけど、その結果、何を使い潰すことになるのか。今回の『G-レコ』の設定を引き合いに出すと、そのような話が、簡単にできてしまう構造になっています。
――それを狙って、『G-レコ』の設定を考えたのですか?
以前から狙っていた設定なんだけど、Windows XPの問題がドンピシャで来てくれたんです。社会インフラになったアプリケーションは、それ以後に出てくるハードウェアすべてに対応しなくてはならない――そういう「インフラ規制法案」を作りたいとまで思ってるんです。こういう話を、今こうしてリアルに話せるようになったおかげで、『G-レコ』の「これ以上、技術を進化させてはならない」設定が生きてきました。これから先、50年はこの話ができるでしょうね。
――この先50年ですか(笑)。
問題は、今の我々には、この問題の解決をつけられないからです。解決法は、『G-レコ』を見た子どもたちが50年後に見つけてくれたらいいな……と思ってます。だって、今の大人に「インフラ規制法案」みたいなものが作れると思いますか?
――無理でしょうね。
だから、大人が『G-レコ』を見る必要はなくて、子どもに見てほしいのです。
――『G-レコ』の対象年齢は?
10歳から15歳。だって、それ以上の年齢の人は見ても役に立てられないと思いますよ。みんな、黙ってスマホやってるだけでしょ? そういう人たちには改善能力がないからです。「どうせ見てもわからないだろう」というほど、馬鹿にはしていません。「わかるよ、そうだよね」と共感はしてくれるだろうけど、じゃあ、改善する能力があなた方にあるかと言われたら、ないでしょう? というだけの話です。
Facebookを立ち上げるぐらい勘を働かせられる人間でないと解決不可能だと思うんだけど、僕が今話している問題はFacebookを立ち上げるより、ずっと困難なんです。今あるものを改革するというのは、なまじ簡単なことではない。なまじ簡単なことではないとわかるからこそ、声高に「なぜWindows XPを使えなくしたんだ、馬鹿野郎め!」とわめいても、そりゃあ無駄ですよね。改革のできるオピニオン・リーダーが出てくるとしたら、最低50年はかかるよね、と思ったから『G-レコ』を作りました。
――タイトルの意味が、少しわかってきました。
そう、だから『レコンギスタ』なんです。
――『∀ガンダム』のときは、一度更地にしてしまいましたが……。
また更地にするわけにはいかないから、今回は『レコンギスタ』しよう、ということです。
韓国ドラマとAKB48を意識しつつ、オタクに媚びないキャラ作りを。
『G-レコ』のコンセプトが固まってきた頃、たまたま『世界の戦争史』という、この千年の経済と戦争をキチッと解説した本を読んでいました。作者の目線が戦争史家ではなく、経済史家に近いんです。その作者から見ると、この千年のほうが人類史全体から見れば異常な変革期であった。だから千年以前の歴史に戻すべきである、と書いています。
「これ以上、科学技術を進歩させてはいけない」という『G-レコ』のコンセプトと同じ論調で、急速な進歩ではなく静かに、穏やかに暮らしていく人類史になるであろう……と書かれているんです。この千年が異常だったのだと理解できれば、常態に戻すのは、それほど驚くべきことではないし、自分の考えていたことは絵空事ではないとわかりました。『G-レコ』は年寄りのたわ言にはならないだろう、という確信が持てたんです。
結局、地球温暖化やエネルギー問題、食糧問題などのリアルな各論の話をしても、角が立つだけなんですよ。角が立たないように認識論を広めるために、アニメというのはとてもすぐれた媒体だと改めて思いました。
――『リーンの翼』のとき、富野監督はエイサップ・鈴木を「ニート」と設定していました。他作品でも、時代を先取りした主人公が多かったのですが、『G-レコ』のベルリ・ゼナムはどんなキャラクターでしょう?
ベルリは時代の先を行くような主人公ではなく、エンターテインメントを成立させるためのキャラクターです。現実が逼塞(ひっそく)状態に陥っているから、時代の先を行くリアリズムのキャラクターでは、見るのが辛いだろうと思ったからです。
もうひとつ、重要なことがあります。ちょっと生真面目な映画やテレビドラマを見ると、まさしくニートもそうだし、犯罪者にしても異常者だとか薬物中毒だとか、閉塞感を象徴するキャラクターばかりになっています。「今さら、同じことをアニメでやってはいけない」と心がけました。
エンターテインメントとして楽しんでもらいながら問題意識をばらまくには、子どもたちにとって見やすいキャラクターにする必要があります。それで、ベルリとアイーダ(・スルガン)のお話にしました。では、ベルリとアイーダの話にしたら底抜けに明るくなるのかと言ったら、「だけど人の暮らしって、そう簡単にはいかないだろう」とも思うので、韓国ドラマ的エンターテインメントからアイデアを全部いただく、ということをしています。ベルリとアイーダが実は姉弟だという設定も、記憶喪失の少女(ラライヤ・マンディ)を配置したのも、ぜんぶ韓国ドラマからアイデアをいただいてきました。文句あるか、こっちはアニメだぞって(笑)。
エンターテインメントの中に問題提起の材料をうまく並べられたという確信があるので、「子どものときは騙されて見ていたけど、なんであんな構造になっていたんだろう?」と20代・30代になってから気がついてくれる子どもたちが出てくれば、こっちのものですね。
――あえて、通俗的なキャラクター配置にしたわけですね?
アニメのドラマとして楽しく見てもらえると同時に、記憶に残るキャラクターを作れなければ意味がないとも思います。『機動戦士ガンダム』のキャラクターたちは、ファンに共有してもらえました。そのキャラクターの系譜は活用可能なギミックのはずですから、それを意識してキャラクターたちを描いています。だから、いやらしい部分もあるんだけれど、それをぬけぬけと僕がやれるとしたら、アニメ作家として悪い仕事ではなかろうと思います。今のオタクやティーンエイジャーに媚びるようなキャラクターが残るかというと、きっと残らないでしょうね。
――キャラクターに関してもエンタメの原点に戻るというか、『レコンギスタ』なわけですね。
それもありますし、いちばん意識したのはAKB48の支持のされ方や韓国ドラマのあり方です。つまり、「卑俗さの何が悪い?」と、正面切って取り込む努力をしました。ただ、“取り込む”というのはAKBに寄せるという意味ではありません。カウンターとして打ち出すにしても、こちらはAKBより後なわけですから、もうちょっと上品にいきたい。
それがラライヤやノレド(・ナグ)、マニィ(・アンバサダ)であり、彼女たちの周辺にいる女たち、男たち。リアルっぽく見せてるんだけど、実はちっともリアルではなく、すべてがギミックとして作動している……そのはずなんだよね(笑)。
――それで女性キャラがやけに多くて、華やかなんですね?
そういうことです。だけど、『機動戦士ガンダム』ほど深刻ではない。
――そこまで考えたなら、何としてでもウケてもらわないと(笑)。
もちろん、ウケてほしい。第2話のアフレコを終えたけれど、かなり面白い。自信がある。名作ではないけど傑作。ただ、今の子どもたちがどういう視線でアニメを見ているかわからないから、そこだけちょっと困ってるんです。
――ガンダム世代のお父さんたちが、責任もって子どもたちに見せてあげてほしいですね。楽しみにしています。
后面感觉可以全部标红的样子……
PV3
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本帖最后由 ガスト 于 2014-8-15 17:52 编辑 ]