水島精二監督「機動戦士ガンダム00」(7・最終回)
水島 結局僕は、作品作りやスタッフワークを通して、「場作り」をしたいのかもしれないと思うんですよ。
―― 「場作り」とは?
みんなが仲良く共存できる場、ですね。
皆が1人ひとり、隣の人間と向き合って、相互に理解し合って距離を置くことも含めて付き合えるようになれば、それぞれの繋がりが“大きなひとまとまり”になる。皆がゆるやかにひとつにまとまれば、大きな諍(いさか)いは生まれないんじゃないかと。
―― “大きなひとまとまり”というのは、一種のコミュニティでしょうか。
そうですね。「ダブルオー」では、それをわかりやすく「地球」というふうに描いているんですけれども。皆が「地球」という1つのコミュニティを共有していると考えて、その「場」を大事にすれば、所属の違い、立場の違いで大きく対立することもなくなると思うんですよね。
「ダブルオー」で描いている国家間、勢力間の対立は、僕たちのいる世界、職場や学校や近所なんかで起きている諍いと似ています。イコールではないけれど、それらを反映しているのも確かです。「所属と立場の違い」は、それだけ諍いに発展しやすいという。
作品ではここをゴールにしようという着地点も決めているのですが、登場人物それぞれが、どうしたら自分たちが住む世界の争いをなくせるかと考えて、動いていくような形にしたいと思っています。どうしたらこの世界がみんなが繋がって、豊かな、平和なものになっていけるか。国や宗教や人種という「所属」以外のところで、人は1つになっていかなきゃいけない、なろうよ、というふうに持っていこうと。
ひとりひとりが、所属や立場を超えて隣の人と手を繋ぐことができれば、争いはなくなる、世界平和でさえ夢ではないと、僕は結構本気で信じているんですよ。
―― どんな方法があれば「ひとつに」なれると思いますか。
シンプルな関係、一対一に立ち戻る
今の時代、世の中が複雑になっていますよね。国家間においても、利害関係の持ち方も一様ではない。どの国が敵なのか味方なのかわからないし、誰が言っていることが正しいのかがはっきりしない。世の中の仕組み全体に目を向けることが難しくなっている。
世界のあちこちから、さまざまな不満が噴き上がってきて、そこを細かく調整につぐ調整というのが今の世界の政治で、だんだん、何のために作った制度なのかわからないものも出てくる。でもそうしないと世の中が成り立たないわけで。
世の中が複雑で、誰もが自分ひとりの頭では把握しきれないから、自分の生活が悪くなっている理由を探したり、自分を脅かしていると想像される“象徴悪”を探したり、一方的な見方だけで政治家などを批判する。「匿名批判」も、そうした綻びのひとつじゃないかと思っているんですが。
―― 国も人も、何が正しいのかわからないから、迷走すると。ではひとつになるには……。
世の中がもっとシンプルになればいいのにとは思います。どうしたらシンプルになるんだよと言われたら、分からないのが正直なところ。
ただ、シンプルにするためには、最終的には一対一の関係に行き着かざるを得ないと思うんですよ。
―― やはり目の前の相手と向き合うということでしょうか。
関係値として、「人と人」というシンプルなところに全部立ち戻るというのは、1回やってみてもいいんじゃないかなと。すごく投げっぱなしな言い方ですけど、法律なんかなくしてしまえばいいのに、国とか宗教の垣根なんかなくしてしまえばいいのに、と思うときがあります。
―― それは人と人の信頼をベースにした社会という。
そうですね。それが「共存の場」だと思うんです。人の言葉を揚げ足取りのように取って、言った言わないでケンカしたりとか。法律も、解釈の仕方で変わってくる部分をどう明言するかでもめていたりしてね。解釈を「悪意」の方向に持っていかれないためには大変な言葉を要するけど、その厳密さで人を縛ることが幸せだとは思えないんですね。
―― 悪意を持った解釈や勘違いがなくなれば、善意の歯車が回り始めるということですか。
そうすると最初の心根の話になってきて、みんな優しくなればいいのに、人の言動を善意に解釈しようよ、と思うんだけど。
これもまた言うは易く、実践は難しいという話になってきてしまうんですが。
“共有地の悲劇”を避けるには
―― 「共存する場」を作るためにはどうすればよいとお考えですか。
一番足を引っ張るのは、「自分の利益しか考えない」ことだと思うんです。自分が欲しいものを得るために、他人がどうなっても構わないという考え方はどうなのかなと。
自分の所属するグループの利益だけ考えるのも同様だと思います。
体面を保つためとか利益を得るために、他所を潰そうとすることはないじゃないか、と。
「コモンズの悲劇」という言葉がありますよね。共有地で自分だけの利益を優先させると、奪い合いばかりになり、結局は土地が痩せて全員が貧しくなってしまうという。
―― 苦手な相手とも手を繋ぐと、巡りめぐって自分にもメリットが返ってくると言うお話がありましたが、それと同じことが「共有地」にも言えると。
企業間でも、小さなパイを強奪し合うよりも、それぞれの企業が自分のいる業界全体が良くなるために動いたほうが、結果的に自社も豊かになっていくという理想は周知の事実なわけですが、自由競争社会では「それはカルテルだ」と怒られちゃったり、理想を口にしている間に誰かに出し抜かれるんじゃないかと思うから、なかなかどの企業も率先してやろうとはしないし、できないわけです。
―― 「共有地の豊かさ=自分の利益/不利益になる」と直結できるイメージ作りが必要と言うことですね。
それも「共有地」を豊かにするひとつのポイントなのだと思います。
世の中の人々の認識を変えるのは現実には難しいけれども、「ダブルオー」の中でも、イメージ作りにトライしてみたんですね。
沙慈(さじ)という日本人の青年を登場させたのですが、彼は、別の国で起きている戦争が、自分とは無関係なものだという気持ちでいたんです。ところが恋人が戦いに巻き込まれて傷つけられたことで、争いを起すもの全てを憎むようになる。沙慈はガンダムに乗る刹那たちを非難するわけですが、そんな彼自身、戦地から逃げるためにした行いが、結果としてたくさんの人を傷つけることになってしまったというエピソードを入れました。
―― 自分の行動は、巡りめぐって“職場の隣の席の人”に関係してくるということですね。
「全く無関係」はありえない、その時取るべき態度
自分のいる場所の延長線上で起こっていることが、「自分とは関係ない」ものであるはずがないと思うんですよ。
自分だけが豊かで安全であればそれでいいという落ち着け方は、世界が共有地である限りできないのでは、と。「ダブルオー」ではそういうことを投げかけてみたかった。じゃあ、あなたの大事な人が危険な場所に行ってしまったらどうする? もうそれで他人事じゃなくなるよ、という実感を少しでも視聴者に感じてもらえればと。
―― 仮に、世界の誰もが「自分の居る場所はすべてが共有地だ」という認識を持ったとして。ここからはシミュレーションになりますが、「共有地」を成功させるためにはどのようにすれば良いと思いますか。
「自分のリスクは自分で引き受ける」。そうすると、全体が向上していくと思うんですよ。
―― リスク、と言いますと?
自分のやることに対して責任を負う態度、だと思います。
「共有地で自分の利益だけを追う」状態というのは、単に金銭の問題ではないと思うんですよね。
職場というひとつの共有地があって、そこで進んでいるプロジェクトが滞るのは、いろんな人が自分の利益だけを追求するからだという話があるとして。
その時の個人的な利益というのは、金銭や出世以外にもあると思うんですよね。特に今は出世が第一義の人は少なくなっているし、ポストの上昇が金銭に直結しない場合もある。それなのに、プロジェクトという船が座礁してしまうことがある。
―― その場合、その個人が追求している「利益」とは一体何だと思いますか。
絶対正義が船を沈める
「俺の考えややり方が絶対正しいんだ」という心ですね。自分が絶対正義であると主張することが、他人の価値観ややり方を全否定することになる。船頭多くして何とやらと言いますが、己の正義がいろんなものの足を引っ張っていると思うんですよ。
前に、今の時代には、「
正義でありたい欲望がある」と言いましたけど、俺が正義だという主張も欲望の形のひとつであって、己だけの利益を追求する行為とほとんど変わらないと思いますね。
……逆に言えば、僕自身にも「正義でありたいという欲望」があるからこそ、こういうところにこだわってしまうのかもしれません。
だからこそ、「ダブルオー」では絶対正義などない、という描き方をしたかったんです。異なる価値観をそれぞれ持ったたくさんの勢力を出したのも、そういう理由からでした。ある価値観の正しさを主張する勢力があれば、逆の価値観が正しいと思う勢力もあるというような。
主人公たちは、ガンダムという兵器を使って各地に武力介入をして戦争根絶を目指すのですが、別の地点にいる人から見れば、「テロ行為」にしか見えないという。
「自分がやった“正義の行い”からも、他者の恨みや間違いは生まれてくる」という話なんですね。
秩序は理解から生まれる
―― 昨年、米国で大ヒットした映画「ダークナイト」みたいですね。米国がはまりこんでいるのがまさにそれでしょうか。「正しさを追求する行為」が、共有地を荒らす可能性はおおいにありますね。
何が正しいのかを追求する行為自体は大切で必要なことだと思うんですが、自分の答えが絶対ではないわけで。
自分が、自分勝手な利益追求者になっていないか、絶対正義の罠に陥っていないかどうか。他の人の意見を聞くことで、相対的に自分の立ち位置がわかる気がします。僕がいろんな人の話を聞くようにしているのも、そういう理由なのかもしれないですね。
―― 自分が間違っているのではないかという検証や、間違っていたら直そうという行為は、自分がリスクを引き受ける、責任を負う態度でもあると。
自分の利益追求者ばかりにならないように、共有地には「秩序」が必要で。
秩序は、共有地の住人の共通認識から生まれるわけですが、その認識は、自分と相手が互いに理解し合うことで共有できると思うんです。
相手の価値観を受け入れることは面倒だしストレスも生じるけど、リスクをひとりひとりが少しづつ負うことで、共有地は豊かになっていくし、結果として自分にも、個人で追求するものよりも、もっと大きなリターンが返ってくる。
みんなが同じ場を共有しているんだから、自分の利益だけ求めるのではなくて、自分でもリスクを背負って、他人の価値観も容認しながら、みんなで手をつないで生きていこうよというのが僕の理想なんですよ。
手を繋ぐことはできるか
―― そういう人たちが増えれば、「こんなやつと手を繋ぎたくないよ」ということはなくなるでしょうか。
なくならないんじゃないですかね(笑)。
―― なくならない?
それはだって、言っている僕自身が常に、「自分がそうなればいいのになぁ」と言いながら、ならないですからね。
だから「ダブルオー」も、主人公たちが(ガンダムという)武力で戦争を根絶しようとする、矛盾した設定になっているんですね。武力で平和をもたらそうというのは、彼ら自身も、矛盾した行いだとわかっているわけです。強大な武力を持ちながらも自分の無力さに気づく、というお話でもありますしね。
でも、若い人たちにこうしたシミュレーションを見てもらって、自分の周りのことを考えるきっかけになれば、この作品を作った意味は僕的にはあるわけです。
……だってどう考えても、この(武力介入という)やり方だと平和は来ないと思うんですよ(笑)。
その欲望を、否定する
―― そうしますと、主人公たちはいわゆる「ヒーロー」にはなれませんよね。だとしたら、お話を見ている人たちのいろいろな「欲望」の落ち着け先はどうなるのでしょうか。
完全無敵のヒーローは成立しません。しちゃいけないんですよ。
マイスター(ガンダムの操縦者)たちが、だんだんと何かを成し遂げる。でも、成し遂げたけれど、その先はどうなるの? みたいな終わり方になると思いますね。だってほら、世界って変わらないじゃないですか。
「これが彼らが変えた世界です」なんて提示してしまうと、誰かすごいヒーローがいれば問題は解決するというふうにとらえられてしまう。それはリアルじゃないし、真実ではないですから。
でも、ガンダムマイスターたちが努力して成し遂げて変わった部分、「世界の中でこのぐらいのことは起こるでしょう」というものは提示します。そこは、ちゃんと見せてあげたいなとは思いますね。
スーパーヒーローの奇跡の力ではなく、大勢の人々の、世界の規模からしたら小さくしか見えないような働きかけが、少しづつ連鎖して世界を変えていく、それでいいんだと思います。
作品を見ている人が「じゃあ、こういうすごいヤツがいればいいんだな」と言って、物語の本をパタンと閉じてしまうのではだめなんですよ。一人一人が、自分自身がリスクを取ってそうならなきゃいけない。「すげえよ、ガンダムマイスター」で終わっちゃいけないんですよ、この作品は。
(水島監督インタビューは今回が最終回となります)